倖田來未はサザエの壺焼きが好き
「日本のいちばん長い日」
「あゝ 祖国よ 恋人よ」
日が経るにつれ、月が過ぎるにつれ、季節変わりを目撃するにつれ、衣替えをするにつれ、年を改めるにつれ、戦争が怖くなり、平和を強く望むようになっている。それは自分が大人になって考えが熟れてきたからだろうか。本当にそうだろうか。戦争を知っている人が減っていることへの焦りと、近々いなくなってしまうことへの不安ではないだろうか。
戦争を知らない世代、特に若者は言う。
「知る機会がないからしょうがない」
「自分一人の話じゃないし、自分一人じゃ何もできないし、自分は関係ない」
中には、「大人がどうにかする」と、本当にそう思っているかどうかも分からないようなことを口からつらつら吐く人がいるかもしれない。漫画や映画だと、こういう人は一番最初にやられる。それ以上は言わない。
思い返せば、幼稚園の時、授業の一環として自分のおじいちゃんおばあちゃんに戦前、戦中、戦後の話を聞きに行ったことがある。内容はよく覚えていないけど、学生だった祖父は手先が器用だったから飛行機の部品を作っていたという話だけは覚えている。プラモデル作りを教わっていて器用さを知っていた園児の僕は、確かにと頷いた記憶がある。手先が器用だからそこで働かされたのか、そこで働かされたから手先が器用になったかは分からない。どちらにせよ、ペンチを渡してくれたあの手はかつて飛行機を作った手だったのだろう。その飛行機は特攻機だったのかもしれない。当時、祖父がどんな思いだったか、目をつむって自分なりになりきって考えてみると、色々なところが苦しくなり、少しの吐き気を覚える。今聞いても教えてもらえない気がする。争いが好きではなさそうな祖父のことだ。僕は、そんな祖父が好きだ。
本屋に行けば沢山の本があるし、新聞を読めば沢山の記事がある。テレビでも、特に終戦記念日近くでは沢山の番組が放送されているし、スマホでもネットニュースから情報を得られる。それなのに、知らない、と言う。(正直、僕も知っているか知らないかで言ったら、知らない。) 知ろうとしないだけなのに。今の園児のおじいちゃんおばあちゃんは戦争を知らない世代の人も少なくない。「大切なものは失ってから気づく」ということは、平和に最もしっくりくる。
別に戦争を知らなければいけないとは思わない。でも、平和について考えることくらい誰にでもできるんじゃないかって、そう思う。考えれば少しは知りたいと思うんじゃないかって、そうも思う。
難しいことは考えたくない。それぞれの思想を真っ向から否定出来るような性格でもない。
ただ、一つ、気になる。
平和か平和じゃないか、
どちらが良いか聞かれたらどっちと答えるだろうか。
「読書録」という題をつけたが、感想を書こうなんて気は毛頭ないが、1つ。
「あゝ 祖国よ、恋人よ」
僕と年齢も大して変わらず、学び舎も同じくした上原良司さんの遺書をベースに本書は構成されている。
「上原良司さんが生きていたら、どんな活躍をしたのだろうか」と想像してみると、少し景色が明るくなって、程なくして元通りになる。
上原良司さんは慶應義塾大学在学中に学徒出陣し、1945年に陸軍特別攻撃隊の隊員として知覧から出撃、敵軍に突入して戦死した。命に価値をつけることなどできるはずもなく、順序なんてもってのほかだが、それでも、彼の死は惜しい。特に惜しいと思ってしまう。是非読んでみてほしい。調べてみてほしい。考えてみてほしい。特に学生、その中でも塾生には。
彼は戦争に否定的だった。
特攻に躊躇いもあった。だが、出撃した。
彼は自由主義者だった。
慶應義塾大学の創設者 福沢諭吉は、彼の思想をどう思ったのだろうか、彼の死をどう思ったのだろうか。
「明日自由主義者が1人この世から去っていきます。」
「俺が戦争で死ぬのは愛する人のため、戦死しても天国に行くから、靖国には行かないよ」
1人の特攻隊員は、
同時に1人の息子であり、
そして1人の恋人。
正直、誰かの息子を、誰かの恋人を目の前にして、敵意を出せるかどうか、疑問だ。
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「ANNIVERSARY」 松任谷由実