三浦大知はロールキャベツが好き
目に入ったもので物語を考える(3)。よく考えない、手を止めない、戻らない、書き直さない、というルールを課してみる。
「コーヒー」
アイスコーヒー。
かつてのもう一つの名は「レイコー」。
死語になった瞬間、
死語として生き始めて、新たな活躍を見せる。
”ナウい” 「今」を「死」語で表す。
「生まれたての死体」 こういうことじゃない。
「ビット小判」 もっと違う。
無力。くううう。
本当の死語を探す。
本当の死語として見つけられた言葉は、死語ではない。
見つけられなかったけど確かに存在していた言葉こそ死語。
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全う体質。
自分は全う体質な気がする。
言われたことは割と全うする。
でも、それは言われたことを全うするだけで、言うならば全うすることを全うしてるだけ。やらされるのが嫌いだけど、苦手なわけじゃ無くて。好きこそ物の上手なれってよく言うし、逆に上手だからこそ好きになることもあるけど、中には嫌いだけど苦手じゃないこともある。
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ノーベル賞は素晴らしい賞だと思うけど、平和賞ばっかりは無くなればいいのにと思う。平和じゃないからこそ平和への尽力を讃えられるのであって、完全な平和が完成して浸透して日常になったら、讃えるとしたら平和を維持してる全ての人、ないしは全ての生き物、万物になる。ノーベル平和賞が要らない世界を望む。でも、やっぱり完全な平和ってあり得ないのかな。有限の空間、時間、資源で共生するって、そんなヌルいことじゃないのかな。理論とかそういうことじゃないことに頭が持ってかれる。考えれば考えるほどわっかんない。
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ハライチ 岩井勇気さん、、
さすが、、、
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「翳りゆく部屋」
そんな二人もカバーした「翳りゆく部屋」。
40年以上前の曲とは思えない。40年前の音楽番組の映像を見ると、なおさらそう思う。芸術肌の人のものは色褪せない。
プレイリストを作るのが好きなのだが、今日は「LIKEを超えて、LOVEとなった、今生聴く曲」というプレイリストを作った。
「悲しみの果て」エレファントカシマシ
「大迷惑」ユニコーン
「青春の影」チューリップ
「翳りゆく部屋」荒井由実
「ロマンス」原田知世
「メロディー」玉置浩二
「ジュリアに傷心」チェッカーズ
「Bohemian Rhapshody」Queen
「さよなら」オフコース
平均年齢の高さ……
最新の曲も割と聞いてる方だとは思うんだけど、一生聞くとなると、どうしてもこうなってしまう。偏ってて嫌だけど。「悲しみの果て」と「大迷惑」を心の中で熱唱しながら走って帰宅する、これがなかったら浪人でぶくぶくに太ってた。