コブクロ小渕健太郎はオムライスが好き

 

「好きなことが好き〜」

「食べることが好き〜」

ナメてんのか、と思う。特に前者。

好きなことが嫌い、だなんて聞いたことがない。もし本当にあるとしたら、哲学的なそれだとしたら、考えを聞かせて欲しい。

後者も後者で、何が好きか言ってくれ。趣味食べ歩きは分かる。趣味食べることは分からない。趣味昼寝は分かる。趣味寝ることは分からない。

「考えたことなかった」って言ってみたい。夜も良く眠れそう。

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

誰にでも、

クイーンあるいはキングになって

プリンセスあるいはプリンスになって

ヴィランズあるいはバイキンマンになって

全てを自分の手中に収めたいと思うことがあるのではないだろうか。無理だと分かっていても。

 

そんなことを

逆立ち

することで体験できると知ってしまったから、是非皆さんにオススメしたい。視点を客観的なそれにして、天変地異の180度回転させると、自分が地球を持ち上げているような気になれる。

三点倒立ー両手=頭一点倒立をすると、頭でかっちな雪だるまの土台になった気になれる。

f:id:general154:20181008222729j:image

 

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

言葉は素敵だと思う。

薬 にも ナイフ にもなって。

たぶん薬としての役割しか果たさなかったら、好きになれないかもしれない。性格上の問題だけではない。完璧な人間が好かれないのと同じ理論なのかな。

そんな素敵な言葉だけど、最近、言語化の圧にストレスを感じることがある。言葉に当てはめたくない、当てはめたらありふれたものになりそうな感情だってあるんじゃないか、と思う。全ての物事は頭の中で言語化されるなんてよくいうけど、感情はどうなんだろうかと甚だ疑問だ。限られたものを使って無限の世界を生み出す魅力を分かってはいるけど、それでも、言葉は制約だと思ってしまう。だからどうしたとか、生活に何か影響があるのかとか、そんなことはどうでもいいし、聞かないでくれ。

遣る瀬無い気持ちを言葉にしているもどかしさが、今、たしかにある。

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

兄弟関係 を考える。

 

友達と話すと、兄弟関係は三者三様だと感じてやまない。

自分は兄2人とかなり仲がいい方だと思っているけど、友達を話をしていると「いや、待てよ。」となる。一緒に旅行に行って、写真を撮ることを仲が良いと言うのなら、仲良くない。でも、あくまで主観ではあるが、兄とは仲がいいと思ってるし、兄もたぶんそう思ってる。はず。兄だけど、地元の先輩みたいなところもあって、男三兄弟なのに一度も喧嘩をしたことがなくて、でもお互いのプライベートの事は全く話さないし、正直興味すらない。こういう兄弟関係を築いている人は他にもいると思うが、自分にとって非常に心地よくて、満足満足大満足してる。本当に話したい話は兄とが一番弾むし。「日本版 We Are The World を考えよう」とか「職人になるなら、何職人になる?」とか「芸能人しりとり」とか「その他思い出せないけど脳みそが嬉しがっているような話」は、やっぱり友達とはなかなかできない。できたら、親友になれそう。

自分なりになんで兄弟の仲がいいか、理由を考えてみようと思う。

 

1つは、3学年違いであるということ。2個違いと3個違いには大きな差があると思っている。なぜなら、同じ学校にいる時間が小学校以外ではないから。小4にとって、小6と中1には1年以上の差があるような気がする。「何やってるか見ることはできないけど、なんか凄いらしい」ということに影響をかなり受けて、憧れを抱いた。

 

2つ目は、今の自分がいるのは兄がいるから、と思っていること。小中高と同じ学校に通って、部活も同じ。細かいところも後を追っていて、例えば中学校の弁論大会。兄2人ともクラスの代表だったと母親にやんわり言われて、俺もならなきゃいけないのかなと思って、なんやかんやなることが出来た。別にそう言われたわけでもないのに、「自分は決められたことしかしちゃいけないのか」と反骨心メラメラ期もあったけど、それは大抵何か良くないことがあった時の逃げでしかなかった。喧嘩がないのも、環境が全く同じだからだと思う。兄ではあるけど、同時に6期上と3期上の部活の先輩だから、逆らうに逆らえなくて、結果的に基本は自由だけど根底にはトップダウンの関係性が構築された。

 

3つ目は、親父が単身赴任で居なかったこと。自分が7歳から19歳の時まで親父が家にいなくて、兄が親父みたいなところもあったし、紅一点の母親に迷惑かけらんないというのが、言わなくても思ってたんじゃないかなと思う。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

兄弟関係の話からは逸れるが、単身赴任で親父が家にいなかったことは、良くも悪くも、自己形成に大きな影響を及ぼしている。

良い面でいうと、とにかく自由だったこと。ロジック100%の勧善懲悪主義の父親と一緒に暮らしていたら、自分もそう染まっていたか、そう染まらず「自由」「いい感じ」「なんとなく」を好きでいたとしてもあくまで「反抗の自由」であって、どこか脅迫めいたものがあるものに染まっていたのではないだろうか。脅迫めいた反抗の自由を手にすると、その自由を脱する自由を欠いてしまう。自由にするということを自由に選択できたことが非常に有難かった。一方で、たしかに反骨精神ゆえのこともあった。何かで親父に勝ちたいけど、優っていることが何もなく、今食べている飯も親父のおかげだとは分かっていた自分にとって、初めて勝てるものが大学受験だった。同じ浪人で条件は同じなら、親父が受からなかったところに受かって入れば俺の勝ちだと思って、結果勝つことが出来た。でも、少し後悔している。SFCに入りたかったから。兄が「ローラのタメ口はなぜ許されるのか」について真剣に分析している様子を見て、俺もSFCに入ってたくさんドーパミン出したいって思った。現役時代、SFCの単願受験に失敗した。(英語で設問一個見落として、吐き気に耐えながら小論を書いた)(人生でいちばん凹んだ。)(帰路でエレカシを聴いて、家帰ったらバナナマンのコントを見た。)(救われたなあ。凹んだ気持ちを忘れられた。)(お笑いは偉大。音楽は偉大。エンタメは偉大。) 浪人期、第一志望を決める時、SFCを第一志望に据えたら勉強しなくなるということとネームバリューと、あと何かしらで親父に勝ちたいたいという理由で、今のところを選んだ。(結局、一日8時間、夏休みは一日14時間、テレビとラジオを楽しんだけど、これが無かったら全く勉強しなかった。) 親父への反骨精神がなかったら今頃SFCでやりたいことできてたのかな。毎日かかとを上げた状態で登校できたのかな。浪人で受かった分、なおさら後悔してる。そんなこんなでゼミに入ったんだけども。

悪い面は、単純に仲が悪いこと。一番のきっかけは「小2のトラウマ」。「小2のトラウマ」とは、名探偵コナン好きの兄が事件から10年以上経ったのち、命名した事件である。おばあちゃんの家に親戚一同が集まった日の夜、いい時間になったから、僕含めて子供達はリビングから離れた部屋に行って、目をつむっていました。事件はそこで起こりました。リビングの方から「愛してる〜愛してる〜」と言う声が聞こえてきました。自分たちにもはっきり聞こえてくるくらいなので、相当大きな声だったんだと思います。声の主は親父でした。酔った親父でした。SMAPの「ありがとう」の歌詞にある"ありがとう"のフレーズを"愛している"に変えて、そのフレーズだけを30分ほど歌い続けていたのです。子供達は眠りたいのに、"愛してる"がうるさすぎて眠れませんでした。自分が眠れない不快感より、子供達を眠れなくさせている人が自分の親父であることの羞恥心の方が大きかったです。その日からと言うもの、親父に自分の素を見せることはなくなりました。シンプルに嫌いになりました。親父だから関係を築いているだけで、クラスが一緒だったら絶対に仲良くならないタイプだと、面と向かって伝えて、地獄の空気を作ったこともあります。「〇〇買ってあげようか?」と言われても、貸しを作りたくないから「いらない」と返し、親父が好きだからと言う理由で、とんかつに嫌悪感を抱いていたこともあります。

「小2のトラウマ」以降、親父を好きになることができず、今に至ります。もちろん、感謝はしてるし、親父と笑顔でキャッチボールをする小学生を羨ましいと思ったことが何度もあるけど、仲を取り戻すことは不可能でした。今のところ。一方的な嫌悪ということもあり、自分が子供っぽく感ることがありますが、今のところまだ難しそうです。根深いからです。年に数回、単身赴任先から帰ってくることがありましたが、いつも酔っ払ってました。もちろんいつもというのは印象に過ぎず、素面で暮らしていたこともあるのですが、酔ってる状態の記憶が強過ぎるんですかね。子供の時の親父の記憶は、ほとんど酔っ払った姿だけなんです。

酔って台所でミニゲロ吐く男をどうやって好きになればいいんですか?

電車寝過ごして行き着いた先のファミレスで山盛りポテトとビールを頼むような親父をどうやって好きになればいいんですか?

酔っ払って帰って、次の日夫婦旅行なのに寝坊し、飛行機を乗りそびれるような男をどうやって好きになればいいのですか?

こんなことをここ1年未満、50過ぎの年齢でしてしまう親父をどうやって好きになればいいのですか?

嫌な記憶を思い出そうとすると、湯水のように湧き出てきます。めちゃくちゃな不快感に苛まれてます。ジャストナウ。

 

おかげで、僕はお酒アレルギーです。いや、酔っ払いアレルギーです。自分が酒を好きじゃないってのもあるけど、それ以上に酔っ払いが嫌いなんです。

 

なぜかですます調になってました。嫌な気持ちを書き記すのは、ですます調の方が苛立ちが和らぐのでオススメです。

 ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

兄弟関係に話を戻そう。

戻ったはいいものの、頭が追いついていない。

なんで兄弟関係について考えようと思ったのかも忘れてしまった。

ひとつ確実なことは、

結婚おめでとう

ということ。

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

youtu.be

 

SPY」 槇原敬之

 

槇原敬之さんは、薬物中毒経験者の中で最もカムバックに成功した人の一人だと思う。「世界に一つだけの花」も逮捕後の作品だ。才能で戦う人は、才能さえ傷つかなければ帰ってこれるのかもしれない。

「Hungry Spider」という曲がある。「SPY」もやばいが、この曲も結構やばい。でも、そのヤバさは曲として魅力的なヤバさだ。この曲は逮捕前に発売されたアルバムの収録曲である。薬を使いながら作った曲なのかもしれない。薬を使っていたからこその曲なのかもしれない。薬はもちろん悪なのだが、芸術において必ずしも悪にはならないことがあるのかもしれない。それでも、悪だ。命を脅かすから。才能豊かな人は人より感度が高い分ストレスがかかりやすいのに、人気者だから弱みを見せられない。ASKAもそうだが、才能豊かな人を蝕んだ薬が憎く思える。

 今活躍している姿を見れて、めちゃくちゃ嬉しい。

 

 

クソ長くなってしまった。メモから引っ張り出してるから、労力はほぼない。浪人期のメモは、どうも重たい。