バイブル
勧善懲悪っぽいものが少し苦手で、
白黒つけにくいものが少し好きだ。
例えば、好きな映画には
・複数の正義が存在する
・どの正義にも共感できる
という共通点がある。複数の正義に共感し、観客が板挟みの立場になると、胸がきゅーとなる。
「クレイマー、クレイマー」という映画は、1人の息子の親権を争う夫婦の話。
家族のために家庭を顧みず日夜仕事をした夫と、「それは自己満足に過ぎない。息子のことは自分が1番わかってる。」と言う妻と、3人で暮らしたいと願う息子。
全ての言い分は筋が通っていて、程度は違えど共感できる。だからこそ、争いが心苦しい。
「カッコーの巣の上で」もそうだ。
自由を求めて障害者施設を飛び出したい主人公にも、患者の身を案じて度が過ぎる管理をしてしまう看護婦にも、共感できる。
この種への好意はゲームにも当てはまる。
高校入学以降は、前日にハマったゲームが朝起きるとどうでもよくなってしまう人間になったが、入学以前は盛んにやっていた。
そんな私のフェイバリットは、「ピクミン2」だ。
主人公が仲間(ピクミン)と共に、宝探しをしたり、敵を倒したりするこのゲーム。
フォーマットとしてはよくあるが、このゲームを特別たらしめるのは、
仲間 が 奴隷 であることだ。
自分の体内に毒を持ち、毒を体外に放出することはできない。
だから、敵を倒すには、毒を塗るのではなく、自分を食わさなければならない。
もし、ピクミンがクソ野郎で、醜い見た目だったら
なんの抵抗もなくピクミンを敵に連投できるだろうが、
哀しいことにピクミンは可愛い。
主人公と信頼関係を築くにつれて、頭の先端に付いている葉は、つぼみ、花と変わっていく。
花を咲かせた可愛らしいピクミンは家族同然のペットだ。
それを敵に食わせる。そんなの無理だ。
しかし、主人公にはどうしても遂行しなければならない任務がある。
心を鬼にして、ピクミンを投げる。1人の家族としてではなく、1人の船長として。
人間は同時に複数の共同体に属し、複数の役割も担う。
そして、時に、それらはぶつかり合う。そんなことを教えてもらった。小学2年の時に。