夏木マリはロールキャベツが好き

 

 

 

大学生活で、自由に満喫できる最後の夏休み。

だからこそ、完全に自由に過ごした。

 

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

あくまで規範の中の自由だけど。

よく現代文でやったなあ。

規範と自由、身体と精神、理性と感性を土台に、当てはめろって言われたなあ。

現代文は、やればやるほど、と言うより、教われば教わるほど成績が下がった。本文に下線部が現れても本文が面白いから読み進めて最後までいっちゃうような時の方が成績は良かった。現代文の先生というのは、本当に難しいと思うし、凄い人はその分凄い。昔は途中でやめちゃったけど、今からでも「銀の匙」読もうかな。

 

https://matome.naver.jp/odai/2137893205353679501

 

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 

この夏休みはスマホを置いた。

日常になってしまった行為によって、知ろうとしていない情報が押し寄せてきて、自分が飲みこまれそうな感覚があった。あと、社会、とりわけネット社会にはグレーを愛せない、許すことさえできない風潮があって、しんどかった。議論の場で持ち込むのは確かにどうかと思うが、グレーは必ずあるものだと思う。ダメだとわかっていながらついてしまった嘘だって、グレーだと僕は思う。誰にでもあるのに許されない、輝けない、そんな虚勢混じりの緊張感というか圧迫感というか、しんどかった。

そもそもスマホ、特にSNSがあまり好きじゃないというか、自分には合わないとは思っていたから、TwitterもインスタもFacebookもアンインストールして(DMのために入れては消してを繰り返していた自分の弱さはあるが)、LINEも家族との個人以外は通知をオフにして(高1の頃から半分以上はオフにするたちだけど)、Yahoo!ニュースを見る回数も減らして、ラジオを聴く回数もかなり減らした(ほぼ0)。周りの方々にはご迷惑をおかけしまして、心よりお詫び申し上げます。

 

 

浮いた時間何をしていたかって聞かれると、大した答えは出せない。本を読む時間は増えたし、久しぶりに新聞も読むようにはなった。散歩する時間も増えて、その分あれこれ考えたり、少し背伸びをしたり、逆に膝を曲げてみたり、時には顔を逆さにしながら歩くこともあった。全部、あくまで日常の拡大に過ぎない。ただそれがたまらなかった。

あと、TV番組のアーカイブを沢山観た。一部例外的な天才を除いて、マラソンを速く走るには沢山の練習が必要で、小説家になるには本を沢山読むことが必要で。だから、沢山観た。他の知識と比べてエンタメの知識に自信があるのは、すり込みが大いにあると思う。ネットニュースを見ても知識に昇華できないのは、教科書が紙でノートも紙だったからじゃないかと思う。教科書、ノートとの時間よりテレビとの時間の方が多いんじゃないかという自分にとって、テレビを通じた情報の方が知識として溜まってくのは必然だったのかもしれない。事実、テレビで見たことは一回で覚えられていることが多い気がする。

 

 

 

便利すぎるものも快く受け入れてなくて、最新=絶対的BESTの方程式も腑に落ちていないし、「今を生きる!」を座右の銘に海と酒ばかりの人とは仲良くなれないたちで、お年寄りをたとえそうだしても、”お荷物”だ、”老害”だ言うことには「どのご身分だ」とためらいがある。好きじゃない気持ちが溢れてしまった。人や物を嫌わないタイプ、というより嫌いにならないように努めているタイプだけど、人の好きを嫌う人はどんな人であっても好きになれないかもしれない。

 

 

 

この夏、最低限会いたい人には会えた。やっぱりみなさん素敵で魅力的で、いい環境で生きさせてもらってるなとつくづく思う。必ず刺激か共感のどちらかがあって、尊敬が通じてある。中でも、兄と高校の親友Tは、違う次元の共感があって、それでいて刺激がある。無論尊敬している。完全にニュアンスの世界で、直感的に感じたことを後日考えてるから、言語化しにくいし、言語化してできたものも薄くて脆い。好きなおつまみが唐揚げの共感よりさつま揚げの共感の方が頷きが大きいけど、これは同次元の大小であって、次元を異にしない。いつもの共感とは違う何かがあって、そこから生まれる刺激も深くて強くて、でもどこか丸い。一つ言えることは、二人と話していると脳が喜んでいる感じがして、自分の調子もいい気がする。

 

 

本を読んでいて気がついたことがある。毎回ではないが、頭の中に、色のある形がある時がある。紙粘土みたいに形が変わるし、他の紙粘土と合わさることもある。文字を見て理解したこと、思ったこと、理解できなかったことが頭の中で遊戯王の魔法カード「融合」みたいに渦を巻いて合わさる。その物体について考えると、なんとなくの内容と「自分」のカフェオレが運ばれてくる。

 

アンテナ、張りすぎるのもよくないのかな。鈍感力って本当に大事かもしれない。アンテナのMAX総距離が定められているとしたら、360度張り巡らすんじゃなくて、250度くらいにして、一本一本の高さを上げた方がいいのかな。かなり高いものを数本備えておくのがいいのかな。いや、どっちも魅力的なのかもしてない。合う合わない、活かせる活かせないがあるだけで。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

youtu.be

 

「薄荷キャンディ」  KinKi Kids