平井堅は納豆が好き

 

 

「相手の気持ちになる」

 

幼稚園で習う大切なことだと思う。

「これ」は、よい人間関係の構築にのみならず、マーケーティングとかその類のことにも寄与すると思う。浮気や犯罪の中には、「これ」を思えば止められるものがあると思う。

 

思うのは簡単だが、実際に相手の気持ちになるのは容易じゃない。理由として、意識の外にあるからというのもあるが、それと同じかそれ以上に重大なのは「相手を知らないから」だと思う。「我が身をつねって人の痛さを知れ」って言葉もあるけど、自分がされてもいいけど他人がされたら嫌なこともあるはず。

 

 

分からないから、やってみた。自分が思うその人になりきってみた。YouTubeのタイトルみたいで、強めにダサい。<最近、違和感のある形容詞・副詞の使用、相性の悪い形容詞・副詞の使用にハマってる。形容詞・副詞をGOODとBADに分けて、形容詞を使うときはふさわしい形容詞と同じ分類(GOOD or BAD))の別の形容詞を使う。「すごい美味しい」を「”すごく”な!!」と訂正するような人間なのに、言葉の乱れを自ら起こしてる。よくない。>

 

 

目が悪い人の気持ちが分からないから、一日中、意識的に視界をぼやかして生活した。そりゃ当然不便で、いつもより生きにくかった。ご飯もいつもより美味しく感じない。早く歩けない。黒板がよく見えない。犬のフンが確認できない。上に電線に鳩がいるかも確認できない。テレビも面白くない。集中ができない。

でも、良いこともあった。道ゆく人の顔が見えないから、一人好きには楽。憶測だけど、イルミネーションもより綺麗に見えるだろうな。事実、視力が2以上あった時、距離が近いと一個一個の電球がはっきり見えて感動も何もなかった。

 

一人の知り合いっぽく1日を過ごしたこともある。彼ならA〜Eランチで何を選ぶか、彼なら自販機で何を買うか、電車で座るか立つか、いってきますとただいまはしっかり言うか、いちいち考えて生活した。正解が分からないから何も生まれはしなかった。「いつも言わないのに、今日はどうしたの?ただいまなんて言っちゃって」って母に笑顔で言われたのは良かった。次の日から元通りだけど。自分のものに出来なたらあ。子供の頃からやってないと、大人になってからじゃ恥ずかしくて出来ないことってある。。。

 

背が185cmを超すような人の気持ちが分からないから、背伸びをして散歩をしてみた。10本の足指が声を揃えてシクシク言い始めたからやめた。ものの数分の出来事。

 

 

実際やってみたけど、分からないものは分からない。でも、完全に分かってしまったら疲れる。すり減る。疲れたくないから、ずっと優しくいよう。肥えていたいから、ずっと優しくいよう。

 

 

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「鱗」   秦基博 × Bank Band