KinKi Kids 堂本光一は豚しゃぶが好き
夢の一つに
「堂本兄弟に出て、堂本一問一答をする」
というのがある。
夢で終わるのもなんだから、浅瀬の夢で終わりたい。
だから、リハーサルする。
Q.
自慢は?
A.
ここ5〜6年怒ってない
ここ2〜3年、イラッとすることがあっても、イライラしてない
Q.
癖は?
A.
突き当たりをギリギリまで歩いて曲がる
Q.
特技は?
A.
字数増加しりとり
芸能人豆知識
Q.
初対面の異性のどこに目がいく?
A.
目
Q.
好きな異性のタイプは?
A.
キツいと感じる雰囲気とか裏笑いのタイミングが似てて、その時に目とか合っちゃう
Q.
一番古い記憶は?
A.
2歳の頃、スキーをする親父におんぶされてた時。親父が転倒して、死ぬかと思った。最初の記憶が最期のようだったのが、とても魅力的に感じる。もし本当に死んだら、死ぬかもという記憶だけなんだもん。なんか凄い。
Q.
人に変だと言われることは?
A.
・白線落ちたら死ぬゲームで白線から落ちたら、たとえゴール目前でも、スタート地点に戻ること
・家に誰もいないと、回る洗濯機の前とか、玄関上がったところとか、ダイニングテーブルの下とかに布団を敷いて寝ること
Q.
日課は?
A.
壁倒立。見方を変えれば、自分が地球を持ち上げているような感覚になって気持ちいい
Q.
無人島に持って行くなら?
※この話題をする上で前提として必要なのが、無人島で1日でも長く生き延びるか、脱出してもいいから1日でも長く生き延びるのか、決められた期間をいかに快適に生活するのか、を決めること。前提を2番目のそれに設定する。
てか、そもそも、この質問、変。「持って行く」が変なのかな。脱出してもいいから1日でも長く生き延びるために無人島に行くようなもんでしょ。生き延びるために行くってことは、死にに行くようなもんで、変だよ。おかしな話だよ。だから、この質問は、「無人島に漂着しました。目を覚ますと、頭の横には何かがありました。何だと嬉しいですか?」にしよう。
A.
家族の写真。ドラマでこの展開だと、生き延びがちだし。
Q.
透明人間になれるなら?
※この話題も前提が要る。透明は透明でも、物質を通すか否か。もし物質を通す場合、地面を物質と捉えるか否か、つまり自分が地中に沈むか否か。ここでは、地面を含め、物質を通すという前提を設定する。
A.
頭に被り物をして、走る。頭の浮遊で街を混乱させたい。沼も走れば埋まりにくいの原理で、走れば地中に埋まらなんじゃないかな。
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「ジュリアに傷心」 チェッカーズ
夏木マリはロールキャベツが好き
大学生活で、自由に満喫できる最後の夏休み。
だからこそ、完全に自由に過ごした。
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あくまで規範の中の自由だけど。
よく現代文でやったなあ。
規範と自由、身体と精神、理性と感性を土台に、当てはめろって言われたなあ。
現代文は、やればやるほど、と言うより、教われば教わるほど成績が下がった。本文に下線部が現れても本文が面白いから読み進めて最後までいっちゃうような時の方が成績は良かった。現代文の先生というのは、本当に難しいと思うし、凄い人はその分凄い。昔は途中でやめちゃったけど、今からでも「銀の匙」読もうかな。
https://matome.naver.jp/odai/2137893205353679501
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この夏休みはスマホを置いた。
日常になってしまった行為によって、知ろうとしていない情報が押し寄せてきて、自分が飲みこまれそうな感覚があった。あと、社会、とりわけネット社会にはグレーを愛せない、許すことさえできない風潮があって、しんどかった。議論の場で持ち込むのは確かにどうかと思うが、グレーは必ずあるものだと思う。ダメだとわかっていながらついてしまった嘘だって、グレーだと僕は思う。誰にでもあるのに許されない、輝けない、そんな虚勢混じりの緊張感というか圧迫感というか、しんどかった。
そもそもスマホ、特にSNSがあまり好きじゃないというか、自分には合わないとは思っていたから、TwitterもインスタもFacebookもアンインストールして(DMのために入れては消してを繰り返していた自分の弱さはあるが)、LINEも家族との個人以外は通知をオフにして(高1の頃から半分以上はオフにするたちだけど)、Yahoo!ニュースを見る回数も減らして、ラジオを聴く回数もかなり減らした(ほぼ0)。周りの方々にはご迷惑をおかけしまして、心よりお詫び申し上げます。
浮いた時間何をしていたかって聞かれると、大した答えは出せない。本を読む時間は増えたし、久しぶりに新聞も読むようにはなった。散歩する時間も増えて、その分あれこれ考えたり、少し背伸びをしたり、逆に膝を曲げてみたり、時には顔を逆さにしながら歩くこともあった。全部、あくまで日常の拡大に過ぎない。ただそれがたまらなかった。
あと、TV番組のアーカイブを沢山観た。一部例外的な天才を除いて、マラソンを速く走るには沢山の練習が必要で、小説家になるには本を沢山読むことが必要で。だから、沢山観た。他の知識と比べてエンタメの知識に自信があるのは、すり込みが大いにあると思う。ネットニュースを見ても知識に昇華できないのは、教科書が紙でノートも紙だったからじゃないかと思う。教科書、ノートとの時間よりテレビとの時間の方が多いんじゃないかという自分にとって、テレビを通じた情報の方が知識として溜まってくのは必然だったのかもしれない。事実、テレビで見たことは一回で覚えられていることが多い気がする。
便利すぎるものも快く受け入れてなくて、最新=絶対的BESTの方程式も腑に落ちていないし、「今を生きる!」を座右の銘に海と酒ばかりの人とは仲良くなれないたちで、お年寄りをたとえそうだしても、”お荷物”だ、”老害”だ言うことには「どのご身分だ」とためらいがある。好きじゃない気持ちが溢れてしまった。人や物を嫌わないタイプ、というより嫌いにならないように努めているタイプだけど、人の好きを嫌う人はどんな人であっても好きになれないかもしれない。
この夏、最低限会いたい人には会えた。やっぱりみなさん素敵で魅力的で、いい環境で生きさせてもらってるなとつくづく思う。必ず刺激か共感のどちらかがあって、尊敬が通じてある。中でも、兄と高校の親友Tは、違う次元の共感があって、それでいて刺激がある。無論尊敬している。完全にニュアンスの世界で、直感的に感じたことを後日考えてるから、言語化しにくいし、言語化してできたものも薄くて脆い。好きなおつまみが唐揚げの共感よりさつま揚げの共感の方が頷きが大きいけど、これは同次元の大小であって、次元を異にしない。いつもの共感とは違う何かがあって、そこから生まれる刺激も深くて強くて、でもどこか丸い。一つ言えることは、二人と話していると脳が喜んでいる感じがして、自分の調子もいい気がする。
本を読んでいて気がついたことがある。毎回ではないが、頭の中に、色のある形がある時がある。紙粘土みたいに形が変わるし、他の紙粘土と合わさることもある。文字を見て理解したこと、思ったこと、理解できなかったことが頭の中で遊戯王の魔法カード「融合」みたいに渦を巻いて合わさる。その物体について考えると、なんとなくの内容と「自分」のカフェオレが運ばれてくる。
アンテナ、張りすぎるのもよくないのかな。鈍感力って本当に大事かもしれない。アンテナのMAX総距離が定められているとしたら、360度張り巡らすんじゃなくて、250度くらいにして、一本一本の高さを上げた方がいいのかな。かなり高いものを数本備えておくのがいいのかな。いや、どっちも魅力的なのかもしてない。合う合わない、活かせる活かせないがあるだけで。
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「薄荷キャンディ」 KinKi Kids
GACKTはゆずぽんが好き
「ナンパしてこい」って言われたら、二つ返事で颯爽と駆け出す男になりたい。
「かゆいところありませんか?」と聞かれたら、「左の方がかゆいです」と言える男になりたい。
「髪の毛入ってるんで、作り直して下さい」と言える男になりたい。
キャッチを適当にあしらえる男になりたい。
流行語大賞になった言葉をバシバシ日常で使える男になりたい。
集合写真で一番前に横たわることに躊躇わない男になりたい。
「完璧主義者だから」って胸張って言える男になりたい。
大ヒットしてる映画を観に行けて、しっかり褒められる男になりたい。
「もう一回やって」「もう一回言って」を快諾できる男になりたい。
夏が恋しい男になりたい。
彼女の口元についてる生クリームを指でとって、自分の口に運べる男になりたい。
1つ残った唐揚げを食べられる男になりたい。
サプライズに正解のリアクションが出来る男になりたい。
少ししかできないものをできるものとして納得できる男になりたい
つまらないものにはつまらないと言える男になりたい
「鼻毛出てるよ」って指摘できる男になりたい
先生のモノマネだけでクラスの人気者になれる男になりたい
栄養ドリンクを俺の相棒と名付けて、深夜、SNSに投稿する男になりたい
自分の努力を認められる男になりたい
なれないと思うけど。
「アウトサイダー」読んで、なんかすげえ気がするって思ってる自分には。
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ミスチル桜井和寿はハッピーターンが好き
男三人兄弟の末っ子で、やってたスポーツも団体競技なのに、いつしか一人遊びが得意になってた。まあ、必然っちゃ必然か。家から次々に遊び相手がいなくなるんだもの。
一人でする娯楽の中で最も心躍るものの1つがカラオケ。映画もラーメンも、回る寿司も回らない寿司も、旅行もトイレもだいたい1人で行けるし実際行くけど、カラオケに関しちゃ1人の方が多い気がする。
一人カラオケあるあるランキングで毎年上位に入るのが、『行く前に歌いたいと思っていた曲、歌い忘れがち』。「歌いたい曲を最初に入れるのは違うな」と思ったら、それは終わりの始まり。連想ゲームのように選曲してって、歌いたい曲を思い出すことができず、思い出しても流れが違うなと思ってしまう。
最近の流行りは、もっぱら「次この部屋に来たお客さんが履歴を見たらどう思うか想像する一人カラオケ」
「前の人はキンキファンだったんだ」
「あ、ジャニーズ全般が好きなんだね」
「どういう展開?」
「サザンとユーミンで対バンしたんだ」
「じゃあお二人さまだったのかな」
「もしかしたらこのタイミングで客変わったのかもね」
「昭和だね」
「あ、やっぱりジャニーズからサザンのタイミングで客がおじさんおばさんに変わったね」
「今度は女性ソロアーティスト限定だ」
「世代は変わらないね」
(原田知世「ロマンス」は本当にいい曲)
「いや、急に芸人ソング」
「ここで客変わったのかな」
「でも、とんねるずとか世代は変わらなくない?」
「いや、急に若いわ」
「フェス好きだろうな」
「確実に客変わったね」
「今のところジャニーズ、サザン、若者の3組かな?」
「20代後半から30代が喜びそうだね」
「もう若者帰ったの?」
「いや、若い感性を持つ30代がオーラル歌ってたんだよ」
「ドリンクバー取ってくるよ。何がいい?」
「あ、あ、コーラ!」
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「愛のかたまり」 KinKi Kids
槇原敬之はエビフライが好き
中村文則 著
中村文則作品で共通してるのは、
非現実っぽくて現実
分からないような世界なのになぜか分かる
認めたくないけど認めざるを得ない
主人公と同じタイミングで吐き気しがち
自分の中に沸々と湧き上がるようにある何か、隠さなければいけない何かを、隠すことに酔い、隠すことに安心し、堰き止めていたものがぶっ壊れておおっぴらになり、それを上から冷静に見下ろしていながらも地の上に立つ自分を止められはしない。隠すものは、武器なのか過去なのか、はたまた性格なのか欲なのか分からないけど、誰にでも似たようなことがあるんじゃないかなって思う。
暗くていや〜な感じのするものが好きなのは自分がネガティブからだと思っていたけど、どうやら違う気がしてきた。ポジティブだから、いやネガティブなポジティブだからじゃないかと思う。暗いものに触れないと心の均衡が乱れてどこか不安になる。プラスが重たすぎて天秤がぶっ壊れてマイナスの受け皿が吹っ飛びそうな気がする。純度100%のハッピー野郎だと、弱みに気づけないし、強みも埋もれるし、何も生み出せない気がする。
ネガティブであることは大切だって、
そうポジティブに捉えている。
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「大きな玉ねぎの下で」 爆風スランプ
倖田來未はサザエの壺焼きが好き
「日本のいちばん長い日」
「あゝ 祖国よ 恋人よ」
日が経るにつれ、月が過ぎるにつれ、季節変わりを目撃するにつれ、衣替えをするにつれ、年を改めるにつれ、戦争が怖くなり、平和を強く望むようになっている。それは自分が大人になって考えが熟れてきたからだろうか。本当にそうだろうか。戦争を知っている人が減っていることへの焦りと、近々いなくなってしまうことへの不安ではないだろうか。
戦争を知らない世代、特に若者は言う。
「知る機会がないからしょうがない」
「自分一人の話じゃないし、自分一人じゃ何もできないし、自分は関係ない」
中には、「大人がどうにかする」と、本当にそう思っているかどうかも分からないようなことを口からつらつら吐く人がいるかもしれない。漫画や映画だと、こういう人は一番最初にやられる。それ以上は言わない。
思い返せば、幼稚園の時、授業の一環として自分のおじいちゃんおばあちゃんに戦前、戦中、戦後の話を聞きに行ったことがある。内容はよく覚えていないけど、学生だった祖父は手先が器用だったから飛行機の部品を作っていたという話だけは覚えている。プラモデル作りを教わっていて器用さを知っていた園児の僕は、確かにと頷いた記憶がある。手先が器用だからそこで働かされたのか、そこで働かされたから手先が器用になったかは分からない。どちらにせよ、ペンチを渡してくれたあの手はかつて飛行機を作った手だったのだろう。その飛行機は特攻機だったのかもしれない。当時、祖父がどんな思いだったか、目をつむって自分なりになりきって考えてみると、色々なところが苦しくなり、少しの吐き気を覚える。今聞いても教えてもらえない気がする。争いが好きではなさそうな祖父のことだ。僕は、そんな祖父が好きだ。
本屋に行けば沢山の本があるし、新聞を読めば沢山の記事がある。テレビでも、特に終戦記念日近くでは沢山の番組が放送されているし、スマホでもネットニュースから情報を得られる。それなのに、知らない、と言う。(正直、僕も知っているか知らないかで言ったら、知らない。) 知ろうとしないだけなのに。今の園児のおじいちゃんおばあちゃんは戦争を知らない世代の人も少なくない。「大切なものは失ってから気づく」ということは、平和に最もしっくりくる。
別に戦争を知らなければいけないとは思わない。でも、平和について考えることくらい誰にでもできるんじゃないかって、そう思う。考えれば少しは知りたいと思うんじゃないかって、そうも思う。
難しいことは考えたくない。それぞれの思想を真っ向から否定出来るような性格でもない。
ただ、一つ、気になる。
平和か平和じゃないか、
どちらが良いか聞かれたらどっちと答えるだろうか。
「読書録」という題をつけたが、感想を書こうなんて気は毛頭ないが、1つ。
「あゝ 祖国よ、恋人よ」
僕と年齢も大して変わらず、学び舎も同じくした上原良司さんの遺書をベースに本書は構成されている。
「上原良司さんが生きていたら、どんな活躍をしたのだろうか」と想像してみると、少し景色が明るくなって、程なくして元通りになる。
上原良司さんは慶應義塾大学在学中に学徒出陣し、1945年に陸軍特別攻撃隊の隊員として知覧から出撃、敵軍に突入して戦死した。命に価値をつけることなどできるはずもなく、順序なんてもってのほかだが、それでも、彼の死は惜しい。特に惜しいと思ってしまう。是非読んでみてほしい。調べてみてほしい。考えてみてほしい。特に学生、その中でも塾生には。
彼は戦争に否定的だった。
特攻に躊躇いもあった。だが、出撃した。
彼は自由主義者だった。
慶應義塾大学の創設者 福沢諭吉は、彼の思想をどう思ったのだろうか、彼の死をどう思ったのだろうか。
「明日自由主義者が1人この世から去っていきます。」
「俺が戦争で死ぬのは愛する人のため、戦死しても天国に行くから、靖国には行かないよ」
1人の特攻隊員は、
同時に1人の息子であり、
そして1人の恋人。
正直、誰かの息子を、誰かの恋人を目の前にして、敵意を出せるかどうか、疑問だ。
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「ANNIVERSARY」 松任谷由実