タモリはラムチョップが好き
15年前の自分と10年前の自分と5年前の自分と今の自分、知識も経験もまるで違うけど、
根っこにあることは通じていると、20歳になって気がついた。
根っこにあること、それは
「目立つのがあまり好きではない」
ということ。
少年野球でアイスの差し入れの「もう一本じゃんけん」があった時、食べたくても手を挙げなかった、いや挙げられなかった。
「もう一回言って」って言われると、恥ずかしくて言いたくないし、「もう一回やって」なんて、誰にでもそうだけど、生き地獄。
ビンゴ大会でビンゴになっても前に行きたくない。
「目立ちたくない」とは言っても、完全に目立ちたくないわけじゃない。
「自分は目立ちたくない」けど、「自分の何かは目立ちたい」と思っていたし、今でもそうだと思う。
小学校の通知表に「ボソッとおもしろいことや悪口を言ってクラスの雰囲気を良くします」と書かれて、親に怒られながらも心の中でガッツポーズをした。
そんな人間だからか、夢もそんな感じ。
小学校の時、プロ野球選手ではなく、
MIZUZOの開発部に入ってグラブのデザインをすることが夢だった。
中学生の時、タレントではなく、
CMクリエーターになることが夢だった。
高校生の時、お笑い芸人ではなく、
放送作家・脚本家になることが夢だった。
どの夢も未だに完全に捨てきれてはいないけど、小学校の時から今まで、ずっと頭の中にあるのが
テレビマン
小学校の頃は、単にテレビが好きだから、という理由だったけど、中学1年生の時、想いが強くなった。
2011年3月18日
MUSIC STATION
その日のMステは東日本大震災後はじめての放送だった。
放送を見て、思ったこと・感じたことが3つある。
一つは、安心
これは、震災の数年後の番組のスペシャル内で出された大泉洋さんのメッセージに深く共感したのだが、「毎週、人によっては毎昼同じ時間を共有していたタモリさんとまた同じ時間を共有できている安心感」というのは確かにかなり大きかった。
二つ目は、音楽の力
その日は震災後にキャスティングしたアーティストが出演し、演出はシンプルで質素だった。
(だからか、ソロアーティストがいつもより多かった印象がある。)(確か、ソロアーティストだと、堂本剛、AI、COCCO、吉井和哉 が出演していた気がする。)
どのアーティストのパーフォマンスも心を打つものであったが、最も印象に残っているのが FUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」だ。ひねくれていて天邪鬼な性格だから、ちょっと恥ずかしいと思っちゃうほど真っ直ぐな歌詞を歌うファンモンをその当時は好いていなかったが、その日のパフォーマンスを見て、聞いて、感じて、自分の青さを心から恥じた。言葉には表せられない。何のための言葉なんだ、文章なんだ、という話かもしれないが、言葉にできないことを表現できるのが音楽だろうし。
最後、三つ目は、テレビの力
安心も音楽の力も、テレビを通じてだからこそ、なのかもしれない。強まっているのかもしれない。大きくなっているのかもしれない。リアルタイムで映像を流せること、同じ時間を出演者と他の視聴者と共有できること、莫大な人数に見られること、魅力的で素敵な人が出演すること、無料で見られること、
その他様々なテレビらしさが、在るものを生み出している。テレビらしさが、在るものをよくしている。
そんなテレビ。最高なテレビ。大好きなテレビ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「チキンライス」 浜田雅功と槇原敬之